周囲からは理解し難い発達障害や精神疾患について発信するブログです。行政の人は教えてくれない社会資源についても記録していきます。

挨拶が出来ない自閉症の長男挨拶が出来→挨拶が出来るようにする働きかけ

自閉症の長男は全く挨拶が出来ません。
こんにちは こんばんは 等の基本的な挨拶は勿論、ありがとうごめんなさいの言葉が言えないのは、残念ながらトラブルの元になってしまうのです。

トラブルにならなくても、挨拶は人となりを印象付ける重要な役割も果たしているとの事で、挨拶が出来ないのは本人にとって大損です。

今回は、実際にあったトラブルを交えながら記載していきたいと思います。

挨拶とは

この機会に母の私も挨拶について調べてみました

挨拶は、新たに顔を合わせた際や別れ際に行われる、礼儀として行われる定型的な言葉や動作のことを指す。また、式典などで儀礼的に述べる言葉をいうこともある。また、日常生活には欠かせない人と人とが気持ちよく生活できる言葉でもある。儐とも書く。

引用元:ウィキペディア

なんとなくは分かっていましたが、やはり人と人とが気持ちよく生活できる言葉として欠かせない言葉であったのですね。

挨拶は日本だけでなく世界各国で交わされる、人間社会に欠かせない言葉なのです。

人間社会にとって、挨拶は日常生活を円滑に送るうえでの基本。それを象徴するように、小学校等の目標では決まって目にする 元気にあいさつをしよう という言葉

どの学校でも目にする目標。まるで決まり文句のような目標です。

自閉症の長男が挨拶が出来ない理由

現在読んでいる本でこんな文面を見つけました。重度の自閉症を抱えながらも作家・詩人・絵本作家として活躍している東田直樹さんの本です。

僕は、上手に挨拶ができません。言葉を上手く話せないためです。知っている人にさえ、挨拶できないことがあります。挨拶が僕にとって、とても難しいコミュニケーションだからだと思います。 人を見かけたら「こんにちは」という言葉を言うだけのどこが難しいのか、みんな不思議に感じるでしょう。 僕には、人が見えていないのです。 人も風景の一部となって、僕の目に飛び込んでくるからです。山も木も建物も鳥も、全ての物が一斉に、僕に話しかけてくる感じなのです。それら全てを相手にすることは、もちろんできませんから、その時、一番関心のあるものに心を動かされます。

角川文庫:飛び跳ねる思考 東田直樹

療育センター医師の見解

医師に相談したところ、挨拶の必要性を感じていないのだろう 挨拶の意味が理解できない そのように言われました。

東田さんのいう通り、人が見えていない 人も風景の一部 なのであれば、挨拶の必要性等全く感じないのでしょう。

挨拶が出来ずに困る場面

お友達や知人と会っても無反応

お友達や知り合いに会った時、定型発達と呼ばれている人々は、お互いの関係に見合ったなり振る舞いを瞬時に判断し、喜びや敬意を表現しますよね。

しかし、我が子のような非定型発達と呼ばれる人々は、定型発達と呼ばれる人々が望むような反応が出来ない傾向にあります。

するとどうでしょう…。

無視された 愛想が悪い 親のしつけがなっていない

とても悲しい事ですが、上記のような見方をされてしまうのです。

我が子のような人々は、一見ではどのような特性があるのかを相手に理解してもらう事は極めて困難であることも、そのように思われてしまう要因なのです。

発達障害に対する一般認識

上記のような状況になってしまった場合、相手にその都度子どもの状態を説明して理解を求めるという方法もありだとは思います。しかし、私は息子達の事情を極力相手に知られたくないと思っています。

なぜなら、発達障害という症状を人々が正しく認識していないと思う機会が多いからです。

ママ友に言われて傷ついた言葉

エピソード1

長男が診断される前の事になりますが、長男の気になる症状をママ友さんに相談し、発達障害だと思っている...と伝えると、

「ゆゆ(長男)には、発達障害とかへんなのはないよ」

と言われたのです。

そのママ友にしてみたら我が子はまだ未診断でしたし、励ますつもりで言ったのでしょう。しかしその言葉を聞いた私は、発達障害って変なのなんだぁと、とても残念な気持ちになったのです。

エピソード2

知人に男児4人の子どもを抱えるママさんがいるのですが、子育てについて話していると、「聞き分けの良い子達だから助かる」と言った直後「発達障害とか、変なのがあったら絶対無理だった」と言ったのです。

エピソード3

授業参観で、周囲のお子様を勢い余って衝動的に叩いたり、暴言を言ってしまうお子様がいた際の出来事です。(普段からそのような態度との事)

私はその子について、おそらくADHDのジャイアン型と呼ばれるタイプのお子様だろうと予測しました。

先生もさぞかし大変だろうと思うと同時に、親御さんが気付けて受診に繋がっているのか…。そのように思いました。

しかし、周囲のママ達の反応は違いました。

「何あの子!親の顔がみてみたい」「近くの席にしてほしくない」

そんな、批判的な言葉ばかりが聞かれました。

手が出てしまう子だったので、我が子の安全を第一に考える親にしてみれば、当然の会話だと思います。

そんな会話が飛び交う中、私が発達障害っぽい症状だよね…と発言してみると、、、

「え!?どんなところが??」

と、ママさん達の表情は全く分からない どこが?と言った雰囲気だったのです。

そのお子様が発達障害か否かについては、私が知る由もありませんが、発達障害についての認識のなさ、そのようなお子様とその親にとっては過酷な環境だと感じたのです。

療育センター医師に言われて傷ついた言葉

長男の初診時だったのですが、必死に伝えようと詳細に話していると「お母さんがそうだからこの子がこういう子になったのでは?」

発達障害についてはだれよりも理解しているであろう医師に、そのように言われたのです。細かいやり取りの詳細は省きますが診察の場で最も発言してはいけない一言です。

このような医師には診て頂きたくないと強く思い担当から外してもらったため、その後の関わりはありません。

残念ながら発達障害専門の医師でさえ、このような発言をする人間がいるのです。

一般認識について思う事

発達障害は白黒付けられるような障害ではなく、誰しも傾向は持ち合わせていると思うのです。確かにそのような傾向が顕著であるがゆえの診断である事は重々に分かっています。

人間社会において大多数を占める定型の人々にとって、我が子のような人々の存在は異色でしょう。

しかし、我が子のような特性を持った人々が大多数を占める世界であればきっと立場は逆転していたはずです。

まとまらない文章になってしまいましたが発達障害という言葉通り、人々が障害者として認識しているものの、特性やタイプ等は正しくどころかほぼ理解していないのが現状だと思っています。

挨拶が出来ない事で我が子が周囲に勘違いされないように、発達障害者だから仕方ないと思ってもらえるように、うちの子は発達障害なのです。自閉症なのです。だから挨拶も出来ないのです。そのように先手を打って言う事も可能です。

しかし母の私が周囲に知られたくない最大の理由は、自分が普通という考えのもと、発達障害を正しく理解せず偏見を持っている人がまだまだ多いと実感しているからなのです。

挨拶が出来るようにする働きかけ

我が子の事例を我が子の立場で列挙しましたが、結論としてはやはり、挨拶が出来ないのは不利ですし損をしてしまいますよね。

そこで、挨拶が出来るような働きかけです。

おはよう おやすみ 等の挨拶をこちらがしても、自閉症の我が子は基本スルーです。

それでも良いんです。私達の言葉を耳に焼き付ける事で、いつか決まり文句のように言えれば…そう願いながら母の私は独り言のように毎日声をかけるのです。

その結果

本当に時々、まぐれだと思ってしまうような頻度ですが、言えるようになってきたのです。

お菓子をあげた時、気分が高揚した様子の息子がケラケラと笑いながら「ありがとさん」と。

お布団に入って息子の頭を撫でながらおやすみというと、おやすみという返事があったり。

頻度としては、1ヶ月に一度あるかないかです。

言葉のコミュニケーションの強要は良くない事は分かっています。

しかし諦めずに声を掛け続けた結果か否かは分かりませんが、今まで全く言えなかった言葉を聞けた事は、素直に嬉しかったです。

※自閉症者は、言葉でのコミュニケーションは苦手なため、強要は良くないそうです。

言葉を発しないので、良くわからない人、おかしい人、と思われがちですが、彼らは定型発達と呼ばれる人々と同じように、様々な事を考え、様々な感情を持っています。

まとめ

息子からの ありがとさん おやすみの言葉、素直に嬉しかったです。

しかし息子がその言葉を発する事に苦痛を感じるなら、私には言わなくても良い。

無理せず、ありのままで。

そう思うのですが、一方外に出れば無償の愛はありません。

挨拶が出来ない事で不利益を被るのは本人です。

心を込めなくても良い、心を込めたかのような雰囲気で、決まり文句だっていいから出来るようになって欲しいと切に願っています。

発達障害だった息子達
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